神崎塾長のつぶやき
令和3年夏号「粽と柏餅」
端午の節供には、粽や柏餅が食されます。
粽は、中国の故事が伝わったもの、といわれます。楚(紀元前の春秋・戦国時代)の王族として生まれた屈原が国を失う絶望から投身水死をした日が五月五日。それを湘江の蚊龍に召されたと哀れんだ姉が、餅をつくって川に投げこみ、蚊龍に手向けました。その餅が、粽の原形とされるのですが、さてどんな餅だったのでしょう。一説には、竹筒に米を詰めたもの、といわれます。
日本では、茅(チガヤ=茅萱)で巻いた餅粽として独自な発達をみました。そこで、なぜチガヤなのか、が問題となります。飯も餅も、それが米だけを材料にしていれば、そこに稲魂がなす霊力が宿っている、と古人はみました。現在でも、神まつりには、白い飯と餅が伝わります。それをまた、わざわざチガヤの葉で巻くのですから、そこにはまた別の意味が加わる、とみるべきなのです。
チガヤのみならず、カヤには霊力がある、とされました。いや、この場合は、霊力というより呪力がある、としたのです。ちなみに、「夏越」の祓いでの茅の輪くぐりも、カヤの呪力によって邪気悪霊を祓うとする行事に相違ありません。
チガヤで巻くのが、本来の粽。ところが、江戸時代になると、マコモ(菰)の葉やササ(笹)の葉が用いられるようになりました。しかし、チマキという呼称は、そのまま伝えられることになったのです。
柏餅は、江戸の町から広まりました。宝暦のころ(一七五一~六四年)、下谷亀屋などで売りはじめた、と伝わります。また、幕末の風俗を記した『絵本江戸風俗往来』には、「市中皆柏餅を食う。この柏餅は手製なり。また菓子屋へ注文するあり」、と記されています。
なお、柏餅とはいうものの、カシワの葉を使うのは東日本です。西日本では、サルトリイバラ(サンキライ=山帰来)の葉の使用が一般的で、それを柏餅と称しています。もっとも、京坂では、古くはあくまでも粽が主で、今日まで伝わっています。
各家でつくった粽や柏餅は、神棚などに供えられたあと、近所や親類・知人にも配られました。こうした贈答習慣は、雛の節供の草餅や彼岸のぼた餅などと同様。そうした「おすそ分け」の習慣がほとんどみられなくなった昨今です。
伊勢 美し国から
番組概要
「伊勢美し国から」は、日本人古来の生活文化を「美し国」伊勢より発信する15分番組です。
二十四節気に基づいた神宮の祭事や三重に伝わる歴史、文化、人物、観光、民間行事などを紹介。古の時代から今に伝わる衣食住の知恵と最新のお伊勢参り情報を伝えます。
五十鈴塾は、日本文化の再発見を目指して各種講座及び体験講座などを開催してきた実績を活かして、この「伊勢美し国」番組企画を行っています。